アウトドア的暮らしの雑記帳

ミニマルインドア&アウトドアライフをテーマにアウトドア業界で培った経験を基に日々の暮らしを綴ったブログ

WILD-1会報のあった時代

会員向けWILD-1会報に思う

WILD-1 ワイルドワン outdoor アウトドア outdoor life アウトドアライフ 会報

 時は1986年3月、WILD-1会報創刊号が左の写真である。巻頭を飾ったのは見川鯛山『 山からの手紙1 タヌキの皮』で挿絵はおおば比呂志とあるから豪華だ。当時は、会報専任女性スタッフが正社員でいた。そして店長が彼女を補佐し会報は続けられた。
 これを書くにあたり、改めて面白いなと思ったことがある。それは当時母体となるホームセンターカンセキが自動車ディーラーもやっていて名前をAutorama(オートラマ)と言った。それに関わる記事が半分ぐらい占めていて、表4 もオートラマの主力車種フォード車で彩られていたことだ。第67号まで彼女が担当し、彼女の退職にともない男性スタッフに引き継がれた。そしてさらに1993年5月号から僕が専任となったのだ。

WILD-1 ワイルドワン outdoor アウトドア outdoor life アウトドアライフ 会報

 僕が手掛けた第1号が右の写真である。表紙に仙台泉店OPENレポートあるからWILD-1の5店舗目がオープンした直後だ。表紙写真も僕が撮った。写っている男は、まさに僕の会報担当前任者だから笑える。撮影場所は隣の宇都宮東公園。WILD-1オリジナルブランド『Pantanal』(このブランドも今はない)のカタログもこの会報に挿入して一石二鳥を図ったわけだ。
 この頃から経費削減ばかり唱えるスタッフが登場し頭を悩ませる日々がその後続くわけで、この形態での会報は1996年2月号116号までであった。つまり、経費削減の対象として終わったのだった。
 アウトドアという遊びを売るWILD-1だが、内実はどんどん遊びが出来なくなる風潮、それが辛かったのを思い出す。やっぱり、遊びに無駄は付き物だからさ。



1988年ごろのWILD-1宇都宮店ジーンズ売り場で

ジーンズが定番として売られていたWILD-1時代

1988年ごろのWILD-宇都宮店ジーンズ売り場で

1988年ごろのWILD-1宇都宮店ジーンズ売り場で

 僕がウエア担当になって最初に任されたのがジーンズ売り場。1960年生まれの昭和人にとってジーンズはマストアイテム、しかも、それがアウトドアストアで定番で置かれている。それがすごくカッコいいなと感じ、思い入れいっぱいで商品をセレクトした。
 リーヴァイス、ラングラー、リー、リベルト、それぞれの代表的アイテムだけを選びド定番の売り場を作らせてもらった。
 一番のお気に入りは当時はUSA製だったリーヴァイス501オリジナル、糊付けカチカチのそれがここアウトドア屋さんにしっかり置かれ売られていることにワクワクしたのだ。アパレル屋さんじゃない、ジーンズ屋さんじゃない、釣具屋さんじゃない、山屋さんでもない。そんなポジショニングが素敵だと思った。
 自分も20代後半、こだわりが強く妥協が出来ない年ごろでもあった。だから、ある営業さんとはウマが合わないところもあったが今ではそれも懐かしい。
 そして、今や30年近くの時が流れた。今のWILD-1にジーンズ売り場はない。やめるのは簡単、継続するのが難しい。今でもあったら、メチャカッコいいのにな。

渓流解禁前夜

チラシに思う Part2

1991年3月

渓流解禁前夜

 1991年3月のB4チラシ、これも懐かしいチラシだ。当時は3月21日が栃木県内の渓流解禁日。それに合わせてルアー、フライ、餌のタックルのイメージをコーディネイトした。商品撮影現場はギャラリースペースで上質なカーペットが張ってあったから撮影に打ってつけだった。そんなギャラリーも今は存在しない。
 キャッチコピー左横の写真は、『これ、絶対あった方がいい』と咄嗟に思いつき、いきなり宇都宮市を流れる鬼怒川へ行って露出アンダーで夕方感を出して撮影した。ほんと手作り感に満ちていた。
 当時は店舗も宇都宮店、水戸店、高崎店の3店舗。商圏を広く取りアウトドア専門店としてライフスタイルと情報を発信していきたい、そんな思いが強く感じられた。まだファザード店舗名ロゴ下にはFISHING & OUTDOOR LIFE STOREの文字も掲げられていた。当時は釣りをベースにしたアウトドアストアだったのだ。個人的には古い人間と思われても、こちらの方がカッコいいと思っている。

ワイルド・ワンは森の生活王

チラシに思う

1991年制作

僕が最初に本格的に関わったB3チラシ

 宇都宮店配属後、4年目1991年に本格的にディレクションしたのがこのB3チラシ。B3表1は動物が不文律で、本来ならば天地左右全体に動物写真のキャッチがお決まりだったのだけど、僕は背景にナバホ柄(流行の兆しがあったのが採用理由)のブランケットを配した。確かに動物のインパクトは弱まったが、写真をモノクロにして動物が埋没することを避けナバホ柄と対比させた。
 キャッチコピーは『ワイルド・ワンは森の生活王」。もちろんモチーフは王貞治がCMで使ってた『ナボナはお菓子のホームラン王』。遊び心が好きなんで躊躇なく発想が湧きコピーが生まれた。
 当時は携帯電話もインターネットもSNSもない時代だから、売上を作る上でチラシは重要だった。が僕は商品をチラシで売ることよりもWILD-1のイメージを高めたかった。いわゆるブランディングに興味があって、まずはそれを消費者の方々にリーチする手段としてこのB3チラシの表1を用いた。何せ4万円も5万円もするウエアも販売しているわけだから、イメージの質を落とすことは致命傷と感じていた。
 が、このあと多店舗展開が加速度的に進み僕が思う方向ではなくなってしまうのだが。

全てはWILD-1宇都宮店から始まった。

始まりはここから


WILD-1で働いてたころの懐かしい産物 僕が(株)カンセキに入社したのは1987年(昭和62年)5月である。大学卒業後は地元で三年間塾の先生をしていた。
 そんな折り、WILD-1宇都宮店店頭に『スタッフ募集』の貼り紙を見つけた友人がいて「受けてみたらどうか」と言われ即応募したのだ。無事入社が決まり、とは書いたが、実は入社前にモトクロス練習中大転倒し左肩完全脱臼で手術入院、一ヶ月遅れでの入社であった。こうしてスタッフに少し迷惑と心配をかけ配属されたのが当時1店舗のみで営業していたWILD-1宇都宮店(現、宇都宮駅東店)だった。
 当時は、1階は入ると本売り場が右手にあり左側がウエア、奥が釣り用品。2階は主にキャンプ用品を扱っていた。が、夏場は海水用品、冬場はスキー用品なども販売していた。
 最初に担当したのがキャンプとスキー、2年目から1階に降りてウエア担当になった。それから4、5年後、コピーライティングや企画力を当時の部長と課長が多分評価してくれて、販売促進と営業推進を兼ね一人でする事になったのだ。写真の面々は僕が回りの人たちの力を借りながら完成した媒体の一部である。今でも思い出がいっぱいで大切なモノたちである。
 今思えば幸運でもあったが、その後の多店舗展開についていけず心身が疲弊したのも事実で、とんとん拍子で課長にはなったものの、全国27店舗に広がれど担当者は僕一人で39歳の春に職を辞した。
 それから20年の歳月が過ぎようとしている。思えばあっという間のことだ。ということで、この場を借りて一つ自分史を紡いでいきたいと思ったわけだ。つまり僕の日記である。

 

初めて投稿します。

マニューバトライアングルの高橋と申します。約10年ぐらい前、ネイティブトラウト専用スプーン『Trap』、管理釣り場用スプーン『faces』、アウトドアライフをモチーフにTシャツやバッグもリリースしました。が、今は休業中です。

随分と昔の話になります。
時は1987年5月に僕は株式会社カンセキが運営するアウトドアストアWILD-1で正社員として働くことになりました。あれから22年、歳月が過ぎ60歳を目の前にして改めて自分の人生と生活を振りかえってみようと思い、このブログを綴ってみたいと思います。